VBED®︎の原点 ジョセフピラティス著者YOUR HEALTHより

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この革命的な発見と発明の時代に、わが国の公衆衛生局の権威達が、本来の健康を促進するべく科学的につくられたベッドやカウチや椅子について何の関心を示さないのは、とても信じられないことだ。この点に、関して、私の理論が正しいことは、多くの高名なプロや一般の研究者たちの支持を得ている。必要なのは、一般的な健康上の問題について私が何年もかけて熱心に行った研究と綿密な調査の過程で蓄積した、大量の役立つ情報を参照することだけだ。さまざまな権威が認めた結論はすでに記したが、それは私自身の理論的で実践的な調査によって確認されている。健康についての自然の法則に関する無知が、とくにプロの健康に関する権威たちの間にさえも蔓延している状況は、驚くばかりである。実際、他の面で”長足の進歩”をとげている医学、産業の機械化、電信、ラジオ、テレビをはじめ、さまざまな分野の状況と比べ、これに関してはまったく特殊である。大手保険会社の統計には、心臓病に死者の数が毎年、着実に増えていることが、はっきり示されている。この不吉な事実をみれば、現在のもっとも好ましくない、しかも避けようと思えば避けられた状態の原因について、早急かつ徹底的な研究が必要であると思えないだろうか。幼年期に心臓病にかかることは珍しくないというのは本当であり、のちのちまでそれに気づかないことが多いのもまったく事実である。一般的に患者が心臓病であるという診断を受けるのは、40歳から55歳の間である。不幸なことに、そのときには手遅れになっていて、治療ができないことが多い。現在の公的な保健や研究のプログラムは、人間の体についてあてはまる”力学の法則”の詳しい研究の重要性を、十分に強調していない。とくに、動いてるとき、休んでいるとき、眠っているときに、本来の体の均衡を獲得することの重要性を認識することが不可欠である点を正しく考察し、詳しく研究することが不足しているのだ。単なる商業主義ではなく、むしろまったくの人道主義的な立場から、ふつうの人が眠っているときに、なぜ絶えず落ち着きなく寝返りをうつのか、その原因に関する詳細で公正な研究を行えば、現在のベッドについて一つの明白な結論に至るだろう。すなわち今のベッドは、美的観点からするとたしかに魅力的であり、一見、快適そうに見えるが、実際は本来の目的を果たすためには、かなり不自然で非実用的なのである。今のベッドでは、最大限の休息と、完全なリラックスが得られない。得られるものといえば、ただ寝返りをうつ場所だけである。これらのベッドは美しいかもしれないが、休息と健康を支えるという目的は果たせていない。私は休息と快適さの両方を得られるベッドを開発した。残念ながら従来の美しいベッドの製造業者は、私の発明の価値を認めようとしないだろう。もし認めてしまったら、自分たちの業界が、根底からひっくり返ってしまうことが十分にわかっているからだ。もちろん全身のすべての筋肉が完全にリラックスしなければ、安らかな眠りは得られないというのは自明の理である。技術をよく知らない人にとっては奇妙に思えるかもしれないが、上質なスプリングがきいたベッドでも、この点を克服できない。それはなぜだろうか。上質なベッドでは、私たちの体の”基礎”である骨の構造が必要とする自然な抵抗を得られず、骨格と筋肉の両方を同時にリラックスさせることができないのだ。このような理想からかけ離れた状況では、リラックスできるようせわしなく体を動かし、その文字どおり”細切れ”の休息をとることになる。私は眠っている人の体を8時間にわたって撮影したことがある。私の記録では、有名なベッド製造業者が撮ったものと同じように、眠っている間に45回も姿勢を変えていた。じつのところ、私のフィルムでは48回、彼らの記録では45回だった。私が開発したベッドを使えば6回にも満たなくなるだろう。動きが少なすぎても多すぎても疲れるというのは事実である。多すぎず少なすぎず、ほどほどが望ましい。睡眠中、1時間に5、6回も動くというのは、ふつうの健康状態にあると考えられる人にとっては多すぎはしないか。ふつう睡眠では、姿勢の変化が最大ではなく最小限のときに体が適切に休息できる。だが、頻繁に動いている状況で、本来なら適切な休息から得られるはずの恩恵を、体が本当に受けているのだろうか。そこから考えると、残念ながら現在のベッドは、体が最大限の休息を得られるように設計されていないし、つくられてもいないと考えるのが論理的かつ妥当ではないか。この推論は明らかに正しい。事実はこうだ。はるか昔から、自然の法則をしらない愚かな親たちが、知らないうちに子どもを不要に残酷な目にあわせてきた。彼らは、成長期の子どもは、眠っているときに脚をまっすぐに伸ばしていなければならないという誤った思い込みのもと、子どもが本来の自然な姿勢で眠ることを妨げてきたのだ。本来の姿勢とは、彼らがこの世に生まれてきたときの形だ。それはネコやその他の動物が、眠る直前に”コイル”のように丸くなるのと似た姿勢である。少なくともこの点においては、動物の母親の本能が人間の母親の軽率な行動より、はるかに優れていると言える。残念ながら、これは大半の母親が犯している、子どもの現在の健康と将来の幸福を危険にさらす、多くの”罪”の一例にすぎない。丸まって眠ることで、動物が元気に成長しているなら、人間も同じように成長できるはずだ。まず自分で試してほしい。ネコのような姿勢で眠れば、便秘、腎臓の弱さや他の不調が解消されるだろう。指導者たちはなぜ、古臭く有害な教えを捨てる勇気を持たず、健康に関する誤った考え方を教え続けているのか。なぜ私が本書で説いているような、健全でまともで安全な、現代的な身体訓練の教えをすぐに採用するよう積極的に主張しないのだろうか。その答えを教えよう。そんなことをすれば身の破滅だからだ。なぜほぼすべての人が、眠ろうとするとき”ネコが丸まった”姿勢をとるのだろうか。なぜ健康についての権威は、その自然な姿勢が不自然であるだけでなく、健康によくないと言い続けるのだろうか。明らかに間違いである上記の結論を支持するために、論理的で健全な、どんな主張が提案できるというのだろうか。それは自然の法則を司る、よく知られ、よく理解されている原則に正しく基づいているだろうか。家具や壁を傷つけるという理由以外に父親や母親がこうした行為に文句を言うのはなぜだろうか。なぜ私たちの多くは、椅子に座ってさほど長い時間がたたないうちにそわそわと落ち着かなくなり、前後に体を傾けたり、絶えず脚を組みかえるのだろうか。時間が長くても短くてもトルコ人やアメリカインディアンのように”しゃがむ”ほうが、ふつうの椅子に楽に座るよりもくつろげるのはなぜだろうか。現在の椅子やベッドが、休息、リラックス、睡眠のための道具として、本来あるべき形をしていないのはなぜだろうか。これらの密接に関連した問いに対する答えは、すべて非常に重要なもので、詳しく研究する必要がある。そしてそれは、すべてこの本の中にある。関心を持つ全ての人に、私のメソッドや発明を喜んでお見せしよう。私が目指すのは、利他主義的、博愛的見地から、人々に本当に有益なものを提供することだ。私は欲深い人間でもなければ、いかさま師でもない。この本の読者すべてに、本来の健康の獲得と維持に関わる、”緊張”と”リラックス”というテーマに対する私の個人的意見に基づいて、より詳しい情報を提供する機会があれば喜んでそうしよう。私は体の矯正を基本として私が主張する結果をもたらす、身体教育を教える世界で唯一の講座を開いている。私は何種類かの椅子を設計した。一つは幼い子ども用で、正しい姿勢を形成し、背骨を神がそうあれと意図したようにまっすぐに保つようつくられている。もう一つは、x脚、o脚、扁平足に悩む人々のためのものだ。やはり矯正用の椅子である。さらに机の前に座りっぱなしで、運動をする時間がほとんどないという人が、正しい姿勢になるためのものもある。そして4つ目は、小児麻痺をわずらい、脚や腕を動かすことを必要とする人の助けとなるものである。他にもいくつかのタイプのベッドやマットレスも開発した。ニューヨークシティ8番街939にある私のスタジオで、それらを目にした人は一様に驚いている。あまりにも革命的で、大量生産を依頼しようと見せたベッドやマットレスの大手製造業者のもとで働く、チーフエンジニアはこう言った。「ピラティス先生、あなたの発明は驚異的ですが、私たちが採用することはできません。もしそんなことをしたら、工場がひっくり返ってしまいます。今のすべてのモデルを撤廃して、広告も新たにつくりなおし、実質的に新しいビジネスを始めなければならないということですから。」その後すぐ、この業者は大々的に私の調査結果を宣伝し始めた。すなわち人は夜、眠っているとき40回から50回も動くということだ。そしてその会社の特別製マットレスを使えば、それを少なくとも30%減らせるという。もちろん、そんなことあるはずがない。それからも以前と同じマットレスとベッドを販売していた。すべては私が何らかの宣伝を行ったとき、効果を薄めるための策略なのだ。何という愚かな考えだろうか。私はこの本の中でわれわれ人類の将来の幸福に関心のある人たちに訴える。私の実践的な身体教育メソッドを、もっとも大きな恩恵を受けるはずの世間一般の人々の前に持ち出す手助けをしていただきたい。健康を高める私の発明を自分たちの目で確かめ、試し、人間が神からの授かりもの➖健康と幸福➖を享受するという究極の目的を果たしてほしいのだ。